なぜポッドキャスティングは流行らないのか

ポッドキャスト(ポッドキャスティング)は、一時期ネットラジオと呼ばれ、新たなメディアとして脚光を浴びた。しかし、現時点では母艦となったiPodの隆盛とは裏腹に、メジャーになりきれていない感がある。っということでその理由をつれづれに

**受動的、かつ能動的な仕組み
ポッドキャスティングは、音声を提供する仕組み上、ネットラジオなどと呼ばれ、従来のアナログラジオと比較されることが多い。

両者の決定的な違いは、伝達の媒体の差異ではなく、その視聴姿勢にある。

ラジオは、ブロードキャスティングであり、利用者は放送局のチャンネルにチューニングを合わせるだけで、受動的に視聴し続けることができる。受動的に視聴し続けることができるということは、視聴者の状態や状況に依存しない。また、受動的であるがゆえにおこる選局の限定と引き換えに、選局候補を探す段階が省略されている。つまり、聞きたいときに聞きたいものが聞けない。

一方で、ポッドキャスティングは、選局の幅を広げるために、視聴者があらかじめ視聴候補を選別しておく必要がある。つまり、この段階で、能動的に視聴する準備を行わなくてはいけない。また、選局の候補を選択するという段階を行うことで、視聴時の選曲の幅を限定してしまうことになる。つまり、あらかじめ聞こうと思って準備したものだけしか聞けない。

いずれの場合でも、現時点では好きなものを延々聞いていられる音楽に押されているのが実情だろう。

**品質の問題とコンテンツの特色
ポッドキャストで提供されているコンテンツは、基本的に制作者の肉声による談話が中心となる。その際シナリオの作成や調整を全体を統括する立場から行われることは少ないし、編集等を行う技能者は基本的に存在しない。もちろん企業等が積極的に制作配信しているものは、この限りではない。

これは、フィルターを通さない文字通りの生の声、という意味では非常に有効な仕組みであるが、半面ポッドキャストの品質を維持するための基準や機構が存在せず、品質の管理は専らその制作者個人に依存することになる。

この点については、他の個人が発信し得るメディアであるブログや動画、写真などと変わることがない。一方で、この問題点はそのメディア特性によって視聴のされかたが異なるため、利用者にとって大きな影響を与えることになる。ここで注目するメディアの特性とは、視聴に要する時間である。

**時間の観点からのメディアの分類
先ほど挙げたメディアの特性を考えるを観点として、時間軸を取り上げたい。つまり、そのコンテンツを利用(消費)するための時間の問題である。この時間には、さらに「コンテンツを消費するのに必要な時間」と「利用者がコンテンツを解釈するのに必要な時間」とに分けることができる。後者は、個人の能力やコンテンツ自体の内容に大きく依存するため、ここでは、前者のみを取り上げる。

この場合、より利用者の時間を拘束するコンテンツは、利用されづらいコンテンツであると考える。例えば、コンテンツを視聴するのに2時間拘束される映画よりも、一時間拘束されるテレビドラマの方が、より利用されやすいコンテンツであるということになる。もちろん、これにはコンテンツの内容が大きく関与してくるだろうが、ここではコンテンツの種別を大きくメディアの種別としてとらえておく。

***一瞬で終わる写真メディア
写真メディアは、その利用に際して時間の概念は存在しない。一服の絵の全体を把握するのは、よほどのことがない限り一瞬だからである。美術館等で一つの絵の前で長時間鑑賞している人もあるが、これは絵を解釈しようとしている段階であり、すでに解釈する前に全体の把握は終了している。

***飛ばし読みができる文字メディア
ブログ(つまりは文字メディア)は、全体を一瞬で把握することは困難である。ただし、我々は長年の教育の末、飛ばし読みや拾い読みと呼ばれる技能を習得している場合が多い。

***耳で実時間聞き続ける音声メディア
音声メディアは、全体を把握するために時間が必要である。そのコンテンツがあらかじめ規定している時間を、実時間で使用する必要がある。

***目と耳を使い実時間見続ける動画メディア
動画メディアは、全体を把握するのはさらに困難である。視聴に実時間掛かる上、目と耳を使う必要があるからである。この意味でいえば、時間の観点からみると音声メディアであるポッドキャスティングより視聴しづらいコンテンツといえる。動画メディアはこの問題をいくつかの手法を組み合わせることによって回避しようとしている。

***コンテンツの視聴のしづらさと当たり外れ
以上の観点に立てば、写真は視聴しやすく、動画は視聴しづらいということになる。それは、あるコンテンツを選択し視聴した場合、そのコンテンツの質における評価に大きくかかわってくる。例えば、その品質に満足できなかった写真と映画があった場合、映画の方が「損をした感じ」が強いのではないだろうか。コンテンツの内容としてみれば、いずれのコンテンツも同程度の満足しか得られていないはずなのに、より視聴時間が長かった映画の方が低評価となる。

***動画メディアの対策
前述したように、音声メディアと動画メディアはともにコンテンツを視聴するために実時間を要する利用しづらいメディアである。また、音声メディアと動画メディアを比較した際、耳のみの拘束で済む音声メディアに比べて、動画メディアでは耳と目を拘束される。これに対して、「ニコニコ動画」や「Youtube」は利用者にいくつかの対策を行っている。

対策の1つは、動画の中の1シーンをサムネイルとして表示することである。そうすることで、動画を選択する前に、ある程度の評価を利用者に促している。これの進化系として、映画ではコンテンツの内容を要約したトラックムービー等を予め提供している。

2つ目は、動画コンテンツに付与される他の利用者からのコメントである。これにより、利用者は予めコンテンツの品質を計る機会を与えられることになる。一歩進んでニコニコ動画では、動画の中にコメントを挿入することで動画中のつまらないシーンのフォロー、その動画中の面白い部分への前座的な役割を担わせている。

3つ目は、動画の素材となる音声や映像である。一般的に広く視聴されるコンテンツは、別の媒体が作成したものや、それらをパッチワーク的に組み合わせた作品の比重が高い。これらも、既にある程度認知されている素材を使うことで、視聴者の敷居を下げ、「損をした感じ」へ低減していると言える。

これらの対策によって、動画メディアはコンテンツ選択前の評価基準の提供、動画内容へのフォローを行うことで、利用者のコンテンツ視聴にかかる時間の減少と、品質が低かった場合の対策を行っている。

**音声メディアとポッドキャスティング
一方で、動画メディアが行っているサマリーの提示や、他の利用者のコメントの提示は、耳だけで視聴する音声メディアでは困難である。ただし、音声メディア中でも一般的な市場の関わってくる音楽ではCMやその他のメディアでも紹介されることが多いため、大きな問題はない。逆にポッドキャスティングなど私的メディアの場合にその問題が浮上してくる。

また、ポッドキャスティングでは、それぞれのコンテンツがWeb上にバラバラに提供されているためコメントや提供方法が集約しづらいという面もある。

**この戯言のまとめ
-音声メディアや動画メディアは、拘束時間が長い
-動画メディアは、コメントやサマリーで頑張っている
-音楽は持ち前のマーケッティングと耐繰り返し属性で暇潰しの王者
-聞きたい時にあらかじめ準備しておかないといけないポッドキャスティングは、面倒くさい
-一つのポッドキャストを聞いたからといって、他のも聞くとは限らない
-っというか、他のポッドキャスティングへの導線なんてものは無い

**ポッドキャストに適したポータブルプレイヤー
ここでは、ポッドキャストの視聴に適したポータブルプレイヤーの機能について考えてみる。コンセプトは、受動かつ能動的な視聴である。

プレイヤーは母艦であるPCに接続されるたびに、配信されている無数のポッドキャストの中からランダムにダウンロードする。また、再生時には、原則として一度再生されたものについては、二度と再生しない。これにより、ラジオの特徴であった受動的な視聴がそれとなく再現できる。

視聴者はランダムに再生されるポッドキャストを視聴中気に入ったものがあれば、そのポッドキャストに対してマーキングをつけることができる。次回のダウンロードでは、チェックをつけたポッドキャストが優先してダウンロードされる。また、ダウンロードされるポッドキャストの偏りを防ぐため、チェックによる優先は、チェックのつけられた次の回までとする。

**おわりにかえて
って言うかこの文章長すぎ