処理流暢性について思うこと

「処理流暢性」ってなに?→「わかりやすい=真実」にみえてしまう心理です。という話を読んで。

要するに人間はわかりやすいものを信じてしまうって話なんだけど、結構根深い話なんじゃないかと思うんだよね。例えば昔は字をきれいに書くことが教養の一部だったりして、子供の頃に「ちゃんと字をきれいに書きなさい」なんて言われて「別に読めればいいだろ」みたいに思ってたけど、そうじゃなかった。

あれは特に意識がなかったにせよ、きれいな字を書いたほうが人にわかったと思ってもらいやすいって話につながっていくんだ。特に昔のようにみんな手書き、筆記用具もしょぼいような世界なら、まさにきれいな字を書くことが自身の評価に直結するんだろうなぁ。

また、世の中のカルトや陰謀論、リンク先に出てくるようなプロパガンダ的な話だと世界を単純な善悪の二元論に落とし込んでるのをよくみるけど、あれも話を簡単にして人に信じてもらいやすいようにしていたんだ。

あと、よく聞く「本当に頭のいい人なら人にわかりやすく話ができるはず」という話も、実際は因果が逆で「わかりやすい話をしている人は真実を語っている(と思う)」ということなわけで。なんというかいろんな物事が腑に落ちてしまうような気がしてくる。

そこら辺を考えていると、孔子の「巧言令色鮮し仁」って言葉もなるほどと辺に納得感が出てきてしまう。ほんとにそこまで考えていたのかはよくわからないけど。

最近流行りのUI/UXみたいなデザインの話だって結局のところここに辿りつきそう。Keep It Simple, Stupidって話だってやっぱりここに辿りつく。世界は簡単な法則の組み合わせでできているという話ももしかするとここにつながっているのかもしれない。

そうやって考えていくと、色々な「良いもの」がこの話にひっついていきそうで、すごく違和感というか、本当に大丈夫なんだろうかという不安な気持ちになってくる。

もしかすると、いままで「良いもの」だと思っていたものが、単なる認知バイアスの問題だったんじゃないか、単にわかりやすいから良いと思ってたんじゃないか、本当はもっと他に良いものがあったんじゃないか、なにか取りこぼしてきているんじゃないか、そういうよくわからない話になっていきそう。

でも、この話は本当なんだろうか。あまりに簡単に色んなものが説明できて、わかりやすい話なんだけどさ。