システム化していくということと変化していくことと

 最近ぼんやりとタイトルのようなことを考えたりしてしまう。システム化するってことは、なんらかのルールややり方を決めて、それにそって作業できるようにするってことだと思うんだけど、そうなると新しいなにかってのはどうやって生まれていくんだろう。

 身近でわかりやすい話がゲーム。人間が進行するアナログなゲームだと、ルールはシステムに決められるものじゃなく、人間同士の合意の上で決められるものだったんだと思う。たとえば、大富豪とか大貧民どっちでもいいけど、すげーたくさんのバリエーション豊かなローカルルールがあったりする。

 なので、それをシステム化したデジタルゲームでは、どういうルールを有効にするか、どのルールは採用しないかを設定で決める。逆に言うと、予めシステムに準備されたルールのバリエーションの中でしか遊ぶことができない。システム化っていうと、どうしてもデジタル化みたいなものをイメージしがちだけど、むしろルール化って言ったほうが良いのかもしれない。

 たとえば、麻雀。麻雀にも色々なローカルなルールや役があるんだけど、システム化したデジタルゲームでは、どういうルールを有効にするか、どのルールは採用しないかを設定で決める。うっかり新しい役を作ることも、追加のルールを作ることはできない。

 別にゲームの話だけをしたいわけじゃないけど、なにかがシステム化、ルール化されていく中で、新しいものや、いろいろな変化、バリエーション、新しい発想が生まれる土壌がなくなって硬直化していくような、そんな漠然とした不安を感じてしまったりする。

 もちろん、システムを変えていけば新しいものや、いろいろな変化、バリエーション、新しい発想を取り込むことはできるけど、それが可能なのはシステムを作るだけの力がある一握りの人達だけなんだろうと思う。

 難しいことはわからないけど、日本の将棋に新しい駒が増えることは多分もうないんじゃないかな。ポーカーに新しい役が入ることむずかしいだろうし、新しいトランプの遊び方がシステム化されるのは少しだけ難しいかもしれない。もちろん、アナログなゲームの世界ではそういう変化は起こり続けるんだろうけど。