老妓抄を再読した話

 とある件を眺めていて老妓抄っぽいなって感想。思っただけだと間違ってるかもしれないので念の為あらすじを確認したところ自分のイメージと違う感じであれれ?ってなったので再読した話。

 ちなみに眺めていたとある件は今回の筋道とは関係ないのでどうでも良い。

 確認したあらすじはこちら

岡本かの子の短編小説。1938年(昭和13)11月『中央公論』に発表。翌年3月、中央公論社刊の同名の短編集に収録。老妓小そのは永年の辛苦で一通りの財産もできたが、現状に安住せず新しい稽古(けいこ)事に励み、家には電化装置を施すなど、つねに好奇心に富み、強い生命力にあふれている。出入りの電気器具商の青年に目をかけ、有為な発明家として育てようとするが、彼は快適な生活を保障されたため逆に意欲を失い、彼女の期待にこたえかねて逃げ出しては連れ戻される。老妓は自分の夢を、青年の仕事への情熱に託そうとして果たしえない。[田中美代子] 『『老妓抄』(新潮文庫)』

 で、老妓抄を読み直してみたけど、やっぱり自分の持った印象とざっくりなあらすじから感じる印象には差がある。どこかというと老妓は「自分の夢を、青年の仕事への情熱に託そうと」はしてない気がする。確かに途中まではそうだったと思うんだけど、後半に柚木の出奔癖が出てくるあたりからは手の中のおもちゃで遊んでる感覚じゃないかな。

 前回も今回再読したときも、そういう上位者の嗜虐性が垣間見えるところに気持ち悪さを感じたんだよ。物語自体が上位者目線で書かれていて、今の自分は上位者ではなく嗜虐の対象となる側の人間だというところに感じる気持ち悪さだけど。いや、対象に選ばれすらしないだろってのは脇においておくとして。

 もちろん、そういう行い自体は別に悪いとも思わないし、気持ち悪いとも思わない。タニマチ、パトロン、スポンサー、メセナ、言い方はいろいろあるけど行為自体はおんなじようなことだしね。ただ、老妓抄が気持ち悪いのは、嗜虐性が目に見えてしまうからなんだろうと思ったりもする。

 逆に言うと、これが柚木視点で書かれていれば、そういうふうには見えなかったのかもしれない。折角のチャンスを怠惰と言い訳で逃げてしまう弱い人間の話だと思ったろうなぁ。何事も見方の問題やな。

 それに、そもそも論として文章から何を感じ取るかってのは人それぞれなので別に正解なんてない。単純に昔の自分が感じていたことを今の自分がどう感じるかを確認したかったってのが今回のお話。